遠まわしなエールと思っていただければ

浪人していた時のことです。
私は予備校の先生にこういいました。
「自分には才能がない。勉強の才能がない。センター試験で英語50点も取れなかった。才能がないんです。だから勉強しても無駄なんです」
先生はこういいました。
「君は気が狂うほど勉強したことがあるのかい?私はある。ないのであれば、君が使った才能がないという言葉はただの言い訳だ」
「才能がない、というのは努力しなかった人間が使う便利な言い訳だ。君がまずすべきは努力だ」
当時も今も、この言葉には共感しつつも反発している。
才能の有無とは確かにある。人間は平等ではない(若本)、ってやつ。だから成功しなかった、もしくは成功しなそうだと思っている人間を努力が足りないと切り捨てるのは短絡的だ。
だが「才能がないからできない」と言った場合、そこに言い訳の気持ちが無いと言い切れるだろうか。
成功者すべてに才能があるか、答えはノー。
だから私は先述の言葉をこう受け止めている。
「才能の有無なんてものは努力でひっくり返せる程度のものでしかない」
うーん、何かシナリオ書いてるみたいになってきたのでこのくらいで。くさいねー