ちょっと卓球の話と見せかけて

荻村伊智朗という人がいました。卓球業界では超有名人です。野球で言えば王・長嶋クラスの人です。
この人は、試合の心構えについてこんな話を残しています。(抜粋するのはちょっと資料がないので意訳で)
「試合中、全てを客観的・理論的に考える自分、そしてある種宗教的な根拠の無い絶対の自分、両方を持っていなければならない」
これは卓球に限らず、「相手が存在する」全ての物事に通用するのではないかな、と思うのです。
まず、相手がいる以上は客観的に考えられないと話になりません。いくら自分がOKだと思っても理論的・物理的に考えて無理なものを推し進めることになってしまいます。
一方、何の根拠の無い自分への全肯定がなければ、それは機械と変わりがありません。人間は機械ではありません。機械に徹すると心が持ちません。
常に二つの自分を同時に持つこと、二つの自分が綱引きをしている状態が理想的ということでしょう。まあこれは私の解釈であり、本当に伝えたいことは別なのかもしれません。
さてそこでSRCシナリオの話。
シナリオを作るときも「客観の自分」と「絶対の自分」が綱引きをしなければなりません。
バランスを崩すと「おとなしすぎてカタルシスの無いシナリオ」または「理解不能な暴走シナリオ」になるのです。
グランプリ常連のシナリオ作家の人たちが作るシナリオは、このバランスが取れているのではないかなーと思う次第です。